品川台場(4) 近代的国防思想の捨て石、品川台場
品川台場は江戸湾の一番奥に位置する最終防衛線であり、その戦略的意義は低いものであった。もっとも、江戸そのものを守る要塞線として考えた場合、品川台場を第一線とし、海岸に設けられた諸藩の台場群を第二線とする二線防御陣地としては機能し得たとも考えられる。だがそれも、開国とともに意味のないものとなった。
かくして、品川台場は幕末における徳川幕府の泥縄的対外政策の遺産となった。品川台場は設計者である江川の海防思想にまったく沿わぬものであったが、与えられた現実の中で任務を忠実に果たした江川らしく、もてる知識と技術力のすべてを台場の構築に投入し、皮肉にも江川が残した最大の事績となった。そして、幕末土木技術の集大成ともいうべきものとして現代に残されることになったのである。
しかし、品川台場の築造は決して無駄ではなかった。この国家的大事業は幕藩に国防の重要性を認識させたという点で、まさに貴重な捨て石となったのである。江川の先見に満ちた海防論は幕藩の垣根を超え、実に明治政府にまで大きな影響を与えた。江川の海防思想は明治新政府軍に受け継がれることとなり、近代海軍が創設・強化され、浦賀水道防御策は東京湾海堡として実現を見ることになったのである。
(初出:学研「歴史群像」2002年6月号 No.53)大砲配備数を加筆
参考文献:佐藤正夫著『品川台場考 幕末から現代まで』(理工学社)/原剛著『幕末海防史の研究』(名著出版)/篠原宏著『海軍創設史』(リブロポート)ほか
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


最近のコメント