舞子砲台(1) 明石海峡を睨む勝海舟の要塞
神戸市垂水区東舞子町の明石海峡大橋のたもとに、屏風状の石垣と石碑が残っている。勝麟太郎(海舟)の設計・指導で築かれたという舞子砲台跡である。
この石垣は当初、昭和初期の国道二号線拡張に伴う護岸工事で築き直されたもので、歴史的価値はないと考えられていた。このため、昭和六十三年の同大橋建設関連の事業により東半分が埋め立てられてしまったが、平成十五年十一月から続けられてきた最近の試掘・確認調査で、これが江戸末期の築造当時のまま改築されることなく、良好な状態で残存している砲台であることが明らかとなった。
砲台跡の調査にあたっている神戸市教育委員会の報告によると、これまでに本砲台跡の東角部を確認、東西最大幅七〇メートル、W型の稜堡式砲台であることが確定した。
試掘により確認できた石垣は砲台の石垣総延長のほぼ五割に達し、上段に据える大きな介石の存在、丁寧な裏込めの状況など、幕末期の特徴を持つ基壇部築造の様相が明らかとなり、しかも後世に石材の積み替えなどを行った状況が見受けられなかったことから、幕末に築造された石積みがそのまま遺存していることが確認された。このことから俄然、舞子砲台跡は大きく歴史的価値を高めることになったのである。
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