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2009.02.17

御館の乱(10) 坂戸城攻防戦

 八月下旬、北条氏政がようやく重い腰を上げ、越後に兵を出した。だが、氏政自身が出馬したわけではない。氏政の弟、北条氏照と北条氏邦に出陣を命じたのである。『甲陽軍鑑』には兵数一万五〇〇〇とある。厩橋で北条高広・景広父子が加わり、軍勢は三国峠に向かった。
 なお、「ほうじょう」と「きたじょう」の関係がややこしくなるため、ここからは「ほうじょう」家を「小田原北条」家と記すことにする。余談だが、かつて北条高広は上杉謙信に反旗を翻し、小田原北条家についたことがある。その際に「読みは違えども字は同じ」ということで誼を通じたという逸話が残っている。両家はそのような関係でもあった。
 さて、景勝は関東からの小田原北条勢侵攻に備え、故郷の上田坂戸城を拠点として防備を固めるよう、挙兵当初から再三、城将の深沢刑部少輔に指示を出していた。だが、上州の景勝方拠点は景虎方に奪取され、坂戸城は古志郡栃尾城の本庄秀綱を中心とした景虎方勢力に攻撃されており、予断を許せない状況だった。そのような中、景勝がもっとも懸念していた小田原北条勢が動き出したのである。
 小田原北条家出身の景虎と対決する限り、氏政との和睦はありえなかった。また、盟約したばかりの武田勝頼はもともと小田原北条家との関係の方が強かった上、勝頼が策した景勝と景虎との和睦を破談にしてしまったから、今後の戦況如何では勝頼がどう転ぶのか予想がつかなかった。景勝が小田原北条勢の圧倒的な兵力に対抗するには、上田城、直峰城、そして春日山城といった、難攻不落の誉れ高い越後の城砦を拠りどころとした拠点防御戦しかなかった。
 かたや、御館で景勝方に攻めたてられ、苦戦を続けていた景虎は、待ちに待った小田原北条勢来援の報に狂喜した。九月二日、北条景広が北条城に入ったという報を受けた景虎は、小田原北条勢とともに御館に入城することを求める書状を船早飛脚で景広に送った。景広の北条入城は誤報であったが、ほどなく小田原北条勢が三国峠を越えて越後に侵入し、景勝方の樺沢城を奪取して越後侵攻の拠点とした。
 勝頼と景勝との同盟が景勝の流した偽情報であると考えていた景虎は、小田原北条勢と武田勢を合流させた上で、春日山城の景勝を一挙に攻め滅ぼそうと考えていた。このとき、武田勢は妻有に向けて移動していたが、小田原北条勢と合流するためであろうと景虎は信じていたのである。
 一方の景勝は、武田勢の移動を景勝の坂戸援軍要請に応えたものと考えていた。景勝は九月十一日、武田勢がまもなく妻有に着陣するので、到着したら馳走するよう、妻有の小森沢政秀に書状を送っている。すでに小田原北条勢は坂戸城に迫り、攻撃を開始していた。九月十二日、景勝は坂戸城を守る諸将に対し、武田勢を援軍に向かったので城を堅く守るよう申し付けている。景勝方は、樺沢城をはじめとする魚沼郡の城を捨てて全兵力を坂戸城に集め、小田原北条勢に対する防御戦を展開した。
 坂戸城は標高六四〇メートルの山頂に実城を置き、麓に向けて無数の郭を重ねた難攻不落の城砦である。これを攻めあぐねた小田原北条勢は、一〇月の降雪期を迎えることになってしまった。軍議の末、大将の北条氏照は本隊の関東帰還を決断した。越後の豪雪で関東との連絡が途絶えてしまったら、一万五〇〇〇の大軍で越冬するのは無理と判断したのである。
 樺沢城は橋頭堡として確保するため、北条氏邦・北条高広・河田重親らを守将に置いた。また、北条景広と小田原北条勢の篠窪出羽守を御館の援軍として向かわせた。仕置を終えた小田原北条勢は三国峠を越え、関東に帰還した。
 ところで、攻防の帰趨を握っていた武田勢は坂戸城攻防戦の間、何をしていたのか。飯山街道をノロノロと進軍した後、九月下旬に妻有に着陣したが、そこからまったく動くことはなかった。二重同盟を結んでしまった勝頼としては、どちらにも加勢するわけにいかなかったから、小田原北条勢の坂戸城攻めを傍観するよう命じていたのである。
 坂戸城の後詰として期待していた景勝は、この背反ともとれる行動に困惑しつつも、動かぬ武田勢を最大限活用しようとした。城兵には「武田勢が加勢に来たから応援に出す」と書状で励ましつつ、犬伏の防衛を武田勢に託したのである。
 もし、小田原北条勢が御館に向おうとするならば犬伏を通らねばならず、必然的に武田勢とぶつかることになる。敵方にさえならなければ、遊兵であっても戦力になる計算だった。だが、武田勢が小田原北条勢と合流したならば、景勝の運命は極まることになる。
 あとは武田勝頼の信義に賭けるしかなかったが、武田勢が犬伏から動くことはなく、景勝はその賭けに勝った。十二月、景勝は勝頼との同盟を確固たるものとするため、その条件であった婚約の祝儀を武田家に送ったのであった。

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