御館の乱(11) 御館滅亡
上田で坂戸城の攻防戦が続いている頃、景虎が籠る御館は兵糧の不足に苦しんでいた。米山の猿毛城を奪われて糧道を断たれていたからである。この状況を打開するため、景虎は神余親綱の三条城から兵糧三〇〇〇俵を搬入するよう命じた。陸路を使用できないため、柏崎の湊から船を出し、直江津まで海輸しようというのである。
九月下旬、兵糧は御館に向けて送り出された。同時に、栃尾城の本庄秀綱が二〇〇〇の兵を引き連れ、進軍を阻もうとする猿毛城の上野九兵衛を突破し、御館に入城した。さらに十月上旬、樺沢城から上田庄を突破してきた北条景広が御館に入り、景虎の下に馳せ参じた。兵糧の到着と両将の増援に、御館の士気は上がった。景虎は十月十日、かつて上杉謙信が関東管領就任式を執り行った鎌倉の鶴岡八幡宮に、戦勝祈願の願文を送った。
意気上がる景虎方は十月二十四日、本庄秀綱を大将として大坪口から出陣、春日山城に攻め寄せたが、景勝方の奮戦により撃退された。御館に戻った本庄秀綱は十一月三日、景勝方が中郡の琵琶島城に攻めかかったという報せを受け、救援に向かった。景勝は本庄秀綱の出馬を察知したが、本庄秀綱は景勝方の警戒を突破して琵琶島城に入り、危機を救った。だがその後、本庄秀綱は御館に戻ることができず、栃尾城に帰還した。
御館に残る勇将は、北条景広だけとなった。北条家は安芸毛利家に通じる一族で、刈羽郡北条に住してから姓を改めた。上杉謙信は北条景広の父、北条高広の手腕を高く評価し、二度まで謀叛を起こしながらも厩橋城将に留め置いた。景広は剛勇無双と称せられ、御館に入城して勇猛ぶりを発揮した。
十二月十六日、越中松倉城将としてそれまで織田勢と対峙していた河田長親が能生に到着した。景勝は援軍として期待していたが、越後の雪深を理由に再び松倉城に帰還してしまった。正月早々、御館攻撃に参陣する旨を景勝に伝えているが、織田勢と対峙している情勢では、軍勢を動かすことができなかった。
天正七年(一五七九)を迎えた景勝は、雪が消え、小田原北条勢が再び越後に侵入する前に御館を攻略しようと決意した。御館はすでに孤立していたが、春の訪れとともに小田原北条勢が再び越後に進撃してくることは確実だった。前年の小田原北条勢は先手衆だけで御館の救援に失敗したことから、春には北条氏政の本隊が動くであろう。北条氏政が動けば武田勝頼の動向も不透明になる。そうなれば、景勝とて現在の優勢を維持できるかどうかは微妙であった。なんとしても雪解けの前に御館を攻略する必要があったのだ。
一方、兵糧不足に苦しんでいた御館の景虎は正月早々、猿毛城将の上野九兵衛に書状を送り、帰参を促した。中郡との連絡を回復し、退勢を挽回しようとしたのである。だが、上野九兵衛は景虎の使者を斬り、決意の程を示した。正月二十日には高津城を攻め落とされ、御館は徐々に追い詰められていった。
雪が消える前に景虎を打ち滅ぼそうと決意した景勝は二月一日、総攻撃に出た。この攻撃で北条景広の陣所が襲撃されて多数討ち取られ、北条景広もまた荻田孫十郎に槍で衝かれて深手を負い、翌日死亡した。翌二日には御館を攻撃し、府内をことごとく焼き払った。 この敗北は景虎方に大きなダメージとなり、御館からは脱走が相次いだ。
二月五日、景虎は河田吉久に書状を送り、本庄秀綱とともに一刻も早く参陣するよう訴えた。二月十一日にも御館は景勝方に攻撃され、戦火の中、景虎は阿賀北の本庄繁長に、あと一〇日も援軍が来るのが延びれば滅亡の他ないと訴え、一日も早い参陣を哀願する書状を送った。二月中旬には、小田原北条勢の拠点だった樺沢城が上田衆に奪回され、関東援軍の望みも絶たれた。
事態の急変に、景虎方だった武将は次々と景勝に降った。青海川・鯨波・島・錦などの要地が景勝方となり、御館は完全に孤立した。
落城必至とみた前関東管領上杉憲政は事態を打開するため、景虎と景勝との調停に乗り出そうとした。このとき上杉憲政は景虎の子、道満丸を救おうとしたのであろうか、一緒に連れて御館を出た。春日山城に向かった上杉憲政は三月十七日、景勝方の武将に襲われ、途中の四屋で道満丸とともに殺害された。上杉憲政は七五歳、道満丸は九歳であった。
四屋の悲報が伝えられた景虎は、これ以上の籠城は無理と判断し、ついに御館を脱出、武田勝頼の所領である信濃に向かった。景虎の脱出を知った景勝方は景虎を追い、窮した景虎は堀江宗親の鮫ヶ尾城に逃げ込んだ。しかし、堀江宗親もまた景勝方へ内応したため、進退窮まった景虎は三月二十四日、ついに自害した。二六歳であった。
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