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2009.02.19

御館の乱(12) 謙信公以来の武門の誉れ

 景虎を討ち滅ぼした景勝だったが、上杉家の後継者争いから上田長尾家と古志長尾家の闘争に変質した越後の戦乱はすぐに終息しなかった。最後まで抵抗を続けた旧景虎方の本庄秀綱と神余親綱を討滅し、景勝がようやく越後国内を平定したのは、天正八年(一五八〇)六月のことであった。
 越後平定の戦いを続ける傍ら、景勝は武田勝頼と起請文を交わして黄金を寄進し、天正七年(一五七九)十月二十日には勝頼の妹菊姫と婚儀を結び、越甲同盟をより強固なものとした。東上野と信濃飯山も勝頼に割譲されたが、東上野は北条氏政との争奪戦の場となり、武田家の衰亡を早めることになった。
 結果として景虎を見殺しにする形となった氏政は、逆恨みをするかのように勝頼の違約をなじり、甲相同盟を破棄すると、天正七年には徳川家康、翌年には織田信長と同盟を結んだ。この結果、東国で織田家に敵対するのは、上杉・武田両家のみとなった。
 景勝はようやく上杉謙信の後継者としての地位を固めたが、すでにそのとき、天下一統の覇権を握らんとしていた織田信長の軍勢が越後に迫っていた。
 東から北条氏政、西から織田信長と徳川家康に挟撃され、勢力を急速に衰退させた武田勝頼は、天正十年(一五八二)二月、甲斐・信濃に攻め込まれてなすすべもなく崩壊、三月十一日、田野に追い詰められて自害し、武田家は滅亡した。戦国最強といわれた武田家が二か月足らずで消滅したことに、景勝をはじめ東国の諸将は戦慄した。
 東国で織田信長の敵として残ったのは、上杉景勝だけとなった。武田旧領の上野・信濃が信長の勢力化に入ったことで、景勝は西方の北陸だけでなく、南方からも織田勢が迫る緊迫した事態となった。さらに越後国内では、御館の乱における恩賞問題で不満を持ち、信長に内応した新発田重家が謀叛を起こした。またもや景勝は、春日山城で織田方に包囲される形となった。
 覚悟を決めた景勝は五月一日、常陸の佐竹義重に対して書状を送った。古い友人に別れを告げるかのような内容で、己の行末を達観した景勝の素直な心境が表れている名文だ。
「景勝はよい時代に生まれました。弓矢を携え、六十余州を越後一国で相支え、一戦を遂げて滅亡できるとは、景勝にとって死後のいい思い出となります。もし万死に一生を得たならば、日本無双の英雄として天下の誉れ、人々にあまた羨ましがられることでしょう」
 五月上旬、景勝は越中救援に出馬したが、織田方の滝川一益が上野から越後国境に迫り、さらに森長可が信濃川中島から越後に乱入するという危機的事態に接し、景勝は越中を捨てて帰国せざるを得なかった。
 越中では柴田勝家の軍勢による攻撃で五月二十六日に松倉城、六月三日には魚津城が落城し、いよいよ越後存亡の危機に見舞われたとき、奇跡が起こった。本能寺の変である。六月二日、景勝を滅亡の淵まで追い詰めた織田信長が突如としてこの世から去った。この結果、越後に迫っていた織田勢がことごとく退散し、景勝は万死に一生を得たのであった。これは景勝にとって偶然の幸運という以外の何物でもなかった。
 奇跡的に生き延びることができた景勝だったが、信長との戦いの中で、地方大名としての己の実力をいやというほど思い知った。そして戦国という地方分権の時代は終わりを告げ、天下一統という中央集権の時代に移り変わったことを悟ったのであった。この後、景勝は織田信長の後継者として急速に台頭した羽柴秀吉、後の豊臣秀吉と誼を通じるようになった。
 御館の乱に関係した関東の三雄のうち、武田家は信長に滅ぼされ、群雄割拠から天下統一へと動いていた時代の流れを読めなかった北条家は秀吉に抵抗し、滅び去った。だが御館の乱、信長との戦いと、二度まで滅亡の危機に陥った景勝は、自身が越後一国の主が相応であることを悟り、中央政権に取り入ることで生き残ったのであった。
 景勝は豊臣秀吉の五大老に取り立てられ、譜代格として大きく出世した。その過程で景勝が大いに活用したのが、養父上杉謙信の武勇伝だった。
 景勝は御館の乱や織田信長の戦いといった戦さの中で武功を立てたわけではなく、とても戦さ上手とはいえない。だが、多数の書状発給によるプロパガンダ戦略で苦しい戦いを乗り切ってきた。そこで秀吉の時代になってから、謙信を上杉家中興の祖として神格化し、毘龍の旗の下に結束した上杉家の精強をアピールしたのである。
 景勝のプロパガンダは功を奏し、上杉家は豊臣政権の中で一目置かれる存在となった。その間、景勝は越後家中の結束を固めることに注力し、「謙信公以来の武門の誉れ」を継ぐ者として、上杉家を永続させる体制をつくりあげたのであった。

(初出:学研「歴史群像」2007年4月号 No.82「上杉激震! 御館の乱」)

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